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山口伊太郎  Yamaguchi Itarou

 

山口伊太郎(1901–2007)氏は、20世紀日本を代表する西陣の織匠であり、文様織物制作の第一人者として高く評価されている存在です。京都・西陣に生まれ、生涯にわたり織物の可能性を追究し続けました。また、戦後は西陣織工業組合の設立や業界振興にも尽力し、西陣文化の発展に大きく貢献しました。
山口氏の創作理念は、単なる伝統の継承にとどまりませんでした。古典意匠を深く研究しながらも、それを現代の感性によって再構築し、新たな美を創造することを目指しました。とりわけ、「古いものを写すだけでは意味がない」という信念のもと、伝統技術と独創性の融合に挑み続けたことが特徴です。
晩年には、織物による絵画表現の極致ともいえる『源氏物語錦織絵巻』の制作に取り組み、染織工芸の新たな可能性を切り開きました。その作品群は工芸品としての機能を超え、日本美術の文脈においても高い評価を受けています。
山口伊太郎氏は、西陣織の伝統を守り継いだ職人であると同時に、その未来を切り拓いた芸術家でもありました。その創造性と探究心は、今日なお多くの染織家や研究者に影響を与え続けています。

Kyōgen Maru  狂言丸 [No.46]

[丸帯  Maru Obi ]

Yamaguchi Itarou 山口伊太郎

Yamaguchi Itarou 山口伊太郎


《狂言丸》は、山口伊太郎氏が得意とした古典意匠の再構成を象徴する作品です。
輝く金地の上に無数の円文が散りばめられ、それぞれの中には花文、蝶文、器物文、家紋風の意匠など、多彩な伝統文様が精緻に織り込まれています。文様は一定の規則性を保ちながらも軽やかなリズムで配置されており、作品全体に豊かな躍動感をもたらしています。
作品名にある「狂言」は、日本の伝統芸能に見られる機知や遊び心を想起させます。本作に配された円文もまた、それぞれが独自の個性を持ちながら全体として調和し、祝祭的で格調高い世界観を形成しています。
特に注目されるのは、豪華な金地と繊細な文様との絶妙な均衡です。円形の文様は単なる装飾としてではなく、余白との関係性を意識して巧みに配置されており、まるで天空に浮かぶ星々のような広がりと奥行きを感じさせます。そこには、古典美への深い理解と洗練された構成感覚が見事に融合しています。
 
《狂言丸》は、帯という実用品の枠を超え、日本の装飾芸術が到達した高度な美意識を示す作品です。伝統文様の豊かな蓄積を背景としながら、それらを新たな視覚表現へと昇華した本作は、山口伊太郎芸術の真髄を伝える優れた作品として位置づけられます。
 

山口伊太郎の経歴

[YAMAGUCHI Itarou]

山口 伊太郎 略歴
明治34年(1901年)12月18日
 京都市上京区上立売通堀川西入に生まれる
大正2年(1913年)3月
 京都市立成逸尋常小学校卒業
大正2年(1913年)4月
 西陣織物製造業佐野商店へ入店
大正9年(1920年)7月
 京都市上京区大宮通寺之内上る西入東千本町において、山口織物所として西陣織物高級帯地製造業開業(※ その後、戦中に廃業)
昭和26年(1951年)9月
 西陣織物同業会の創立に参加
昭和28年(1953年)5月
 西陣織物同業協同組合設立に参加
昭和29年(1954年)4月
 西陣織物同業協同組合理事長に就任
昭和29年(1954年)10月
 紫紘株式会社を創立、代表取締役社長に就任
昭和33年(1958年)7月
 西陣織物工業組合理事に就任
昭和37年(1962年)4月
 同組合顧問に就任、京都府伝統工芸士選定委員歴任
昭和37年(1962年)
 財団法人西陣織物館の設立に参加
昭和45年(1970年)
 「源氏物語錦織絵巻」の製作を開始する
 紫紘株式会社代表取締役会長に就任
昭和46年(1971年)10月
 財団法人西陣織物館理事長に就任
昭和60年(1985年)11月
 財団法人西陣織物館理事・名誉顧問に就任
昭和61年(1986年)5月
 「源氏物語錦織絵巻」全四巻のうち第一巻を完成する(竹河の巻他)
平成2年(1990年)10月
 「源氏物語錦織絵巻」全四巻のうち第二巻を完成する(宿木の巻他)
平成4年(1992年)10月
 京都府立 文化博物館において「源氏物語錦織絵巻」展を開催
平成7年(1995年)4月
フランス国立ギメ東洋美術館(Musée des Arts asiatiques-Guimet)に「源氏物語錦織絵巻」第一、二巻を寄贈
(※フランス国立ギメ東洋美術館は、フランスのパリにある東洋美術専門の国立美術館。実業家エミール・ギメが収集した美術品を基に設立され、後にルーヴル美術館からアジア美術コレクションが移管されたことで、世界有数のアジア美術のコレクションとなる)
平成13年(2001年)5月
 「源氏物語錦織絵巻」全四巻のうち第三巻を完成する(鈴虫の巻他)
平成14年(2002年)
 フランス国立ギメ東洋美術館に「源氏物語錦織絵巻」第三巻を寄贈
平成15年(2003年)
 京都市、平安神宮会館において「山口伊太郎安次郎二百歳記念」展を開催
 東京都、大倉文化財団大倉集古館において「山口伊太郎安次郎二百歳記念」展を開催
平成17年(2005年)
 静岡県三島市、佐野美術館において「山口伊太郎・山口安次郎の世界」展を開催
平成19年(2007年)
 6月27日未明、自宅にて逝去(享年105)
平成20年(2008年)
 「源氏物語錦織絵巻」全四巻のうち最終巻が完成する(蓬生の巻他)
 京都市、相国寺・承天閣美術館において遺作展「山口伊太郎遺作展 源氏物語錦織絵巻」展を開催
 フランス国立ギメ東洋美術館に「源氏物語錦織絵巻」最終巻となる第四巻を寄贈
平成21年(2009年)
 東京都、大倉文化財団大倉集古館において「山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻」展を開催
 フランス国立ギメ東洋美術館において「Au fil du Dit du Genji - Hommage à Maître Yamaguchi'」展を開催
 
 

山口伊太郎のイノベーション

[Innovation by YAMAGUCHI Itarou]

 

山口伊太郎のイノベーション ― 源氏物語絵巻を織る

── 永遠の美を追い求めた西陣の巨匠
七十歳を迎えたとき、京都・西陣の織匠 山口伊太郎(1901–2007) 氏は、生涯最大の挑戦を始めました。
それは、『源氏物語』を、筆ではなく織物によって再現するという、前人未到の試みでした。

きっかけは、エジプト美術展で出会った4500年前の美術品。数千年の時を経てもなお、人々を感動させるその存在に、山口伊太郎氏は深い衝撃を受けます。
「自分にもああいうものが作れるのではないか。平均寿命が80歳として、自分が生きられるのはあと10年。10年あれば、何か意義のある仕事、後世に残るような仕事ができるのではないか。」
 
そう考えた山口伊太郎氏が出会ったのが、徳川美術館と五島美術館に収蔵される国宝『源氏物語絵巻』でした。王朝貴族が物語を楽しむために描かせたこの絵巻は、高い品格と優美な情感に満ちていましたが、
「傷みが激しく、見る影もない箇所もある。織物で再現すれば、美しいものができるだろう」――
その発想が、山口伊太郎氏の心を捉えました。
「もう金もうけのための商品は作らん。誰にもできなかったことをやる。商売抜きの“織道楽”をやる。」
こうして『源氏物語錦織絵巻』という前例のない挑戦が始まったのです。しかし、分業制の進んだ西陣織は、織元だけでは作品を作ることはできません。多くの職人が参加する一大プロジェクトへと発展していったのです。
 
 

絵を「織」で描くという発想

山口伊太郎氏が挑んだのは、単なる複製ではありませんでした。
彼が目指したのは、絵画を超える織の表現、すなわち「糸で描く芸術」でした。

 

素材を極める ― 白く輝くプラチナ箔の誕生

『源氏物語錦織繒巻』では、金糸・銀糸がふんだんに用いられています。
金糸の場合、和紙に漆を塗ったものに金箔を貼り、それを細かく裁断した平箔が使われます。平箔は台紙に箔を貼り付けるまでの箔押し師から、箔切り屋に渡り、幅約0.3ミリという細い金糸が生まれます。
金糸は本金、つまり純金を使用すればよいのですが、問題は銀糸でした。
銀は時間とともに酸化し、黒く変色してしまうのです。

「どうすれば永遠に輝く糸が作れるか」。
伊太郎氏は悩み続け、ついに金沢でプラチナ箔に挑戦する職人の存在を知ります。
しかし、当時の技術では鈍い鉛色のプラチナしかできず、理想の“白く光るプラチナ”にはほど遠いものでした。

そこからさらに三年。
研究と改良を重ね、ついに美しく澄んだ白いプラチナ箔の製造に成功します。

 

見えないものを織る ― 透け感の再現という奇跡

山口伊太郎氏の革新は、素材だけではありません。
絵画では筆と色の重ねで表現できる「透け感」を、実際に織物の構造で再現しようとしたのです。

「鈴虫一」では、供物を供えようとする侍女の五条袈裟、
「鈴虫二」では欄干に掛けられた薄物――その下に見える肌や模様。
それを「網戸を通して先を見るような感覚」で織り上げるために、
三年を費やして新技法を開発しました。

「何度も何度もやり直すしかなかった。
どれほどの細かさなら下の模様が自然に見えるのか、試行錯誤の連続でした」と伊太郎氏は語ります。
完成した透ける布地は、従来の風通(ふうつう)織を超える、まったく新しい表現法となりました。

この挑戦は、単なる技術実験ではなく、
「見えないものを織る」――日本美の精神そのものの具現でした

  
第一巻の制作だけで、用いられた紋紙はおよそ100万枚にのぼります。
金糸・銀糸に加え、酸化を防ぐためにプラチナ箔を採用するなど、当時としては前例のない革新を試みました。
保存のための専用倉庫まで建設し、制作環境そのものを美術館級に整えたのです。

たとえば「鈴虫一」「鈴虫二」では、薄衣(うすぎぬ)の透け感を織で表現するため、
三年もの歳月をかけて「二重織」という新技法を生み出しました。
また、「竹河二」では、光が当たると白い花弁が淡く桃色に浮かび上がるよう、
白糸と紅糸、さらにプラチナ糸を髪の毛よりも細く織り合わせ、
「朝日に染まる白桜」**を糸の層で描き出したのです。

その工程は苦難の連続でありながら、山口伊太郎氏はこう語っていました。
「苦心惨憺も、私にとっては楽しみ。これは仕事ではなく“遊び”なんです。」
この「遊び」とは、無駄を意味するのではなく、創造の歓びそのものです。
山口氏はそれを「神の遊び」と呼び、そこに芸術の本質を見ていました。

 

三十七年を織り込んだ人生

山口伊太郎氏がこの構想に着手したのは1970年(昭和45年)、70歳のときでした。
以来、37年もの歳月をかけて、四巻十九場面から成る大作を完成させたのは2008年、享年105歳のときでした。

一反の布に、絹糸・金箔・銀糸・プラチナ糸が幾層にも重ねられ、
王朝文学の華やぎと人間の情感が、織の中で再び息づきました。
完成した『源氏物語錦織絵巻』は、総延長12メートルを超え、
初めて京都・相国寺承天閣美術館で公開された際には、
「時そのものを織り上げた芸術」と評されました。

山口伊太郎氏は生涯を通じて、数々の独創的な織技法を考案し続けました。
しかしその精神は常に謙虚で、

「誰かが真似をするなら、私はまた新しいものを作るだけ」
と語り、常に前を向いていたといいます。

 

永遠の美、静けさの中の光

山口伊太郎氏の『源氏物語錦織絵巻』は、
装飾を超え、時間と光そのものを織り込んだ哲学的芸術です。
華美ではなく、静謐。
主張ではなく、祈り。

そこには、絹が光を抱き込み、
人の心を静かに映し出す「日本の美」の本質が息づいています。
それは、流行を超え、言葉を超え、
千年後の未来にも語りかけるような永遠の美の証です。

 
 
 
山口伊太郎氏が生涯をかけて示したのは、
「美とは時間に抗うことではなく、時間と共に生き続ける力である」という真理でした。

西陣の織機から生まれた一本の絹糸が、
千年の時を超えて光を放つ――。
その光こそが、山口伊太郎氏の遺した「日本の心」そのものであると思います。