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About KIMONO

1 日本の着物について

── 風土と人の手が生んだ「纏う芸術」

 
着物は、日本の自然と人の感性が何百年もかけて磨き上げてきた、生きた芸術です。
絹糸、糊、水、空気、そして職人の手。それらが絶妙に調和することで、世界に類を見ない繊細な布文化が築かれました。京友禅の華やぎ、結城紬のぬくもり、西陣織の荘厳な輝き。それぞれ異なる技法で作られながらも、共通しているのは、自然と人との調和を追求する精神です。この美は、気候・水・素材・文化が奇跡的に調和した日本ならではの結晶といえるでしょう。
 
西洋のドレスが身体の美を際立たせるための服であるなら、着物は心と所作を整えるための装いです。
直線裁ちの形は、どんな体型にも寄り添い、纏う人の姿勢、歩み、動作までも優雅に導きます。着物をまとうひとときは、まるで静かな儀式のようです。絹のひんやりとした感触、帯を締めるときの緊張と高揚、そして鏡に映る自分を静かに見つめる瞬間。その体験は、国籍や文化を超えて人の心を深く鎮め、内面の美意識を呼び覚ますものです。


染と織 ― 二つの美の系譜

 
着物には、大きく分けて「染の着物(後染)」と「織の着物(先染)」という二つの系統があります。
この分類は、色や柄を「いつ」布に施すかという違いによるもので、どちらも日本の美意識と高度な職人技の粋を極めたものです。
 
● 染の着物(後染)
織り上げた白生地に、あとから模様を染めるものです。代表的なものに、京友禅、加賀友禅、江戸小紋などがあります。友禅染は、下絵を描き、防染糊を置き、彩色し、蒸し、水洗いを経て仕上げるまでに、二十を超える工程を要します。金銀箔や刺繍を施した豪華な友禅から、一筆一筆に絵師の感性が宿る繊細な染めまで、まさに「絹の上に描かれた絵画」です。

● 織の着物(先染)
こちらは、糸の段階で染め上げ、それを計算して織り込むことで文様を表すものです。西陣織、結城紬、大島紬などがその代表です。幾何学的でありながら、手仕事ならではの温もりが宿り、一越ごとに職人の呼吸が感じられます。
 
「染」は絵画的な美を、「織」は構築的な美を表現する。この二つが共に存在することで、日本の着物文化は完成します。どちらも職人の精緻な手業と、美への妥協なき探求心があってこそ生まれるもの。

着物は、流行を追うものではありません。むしろ、「変わらないこと」こそが美であり、誇りです。百年前の友禅が今も新鮮に映るように、本物の着物は、時を重ねるほどに輝きを増していくのです。そしてその輝きは、纏う人の立ち姿や、呼吸、心の静けさまでも美しく映し出してくれます。
 

2 高級な着物とは

── 流行ではなく、時を超える美

 
「高級」と呼ばれる着物に、流行という概念はありません。そこにあるのは、受け継がれた技術と、時を超える美意識です。
京友禅の絵師が一筆ごとに筆を置くとき、その背後には数百年にわたり磨かれてきた染の系譜があります。西陣織の帯には、金箔や銀糸が光の角度で表情を変え、まるで絵画のような――いや、織物ならではの絵画的表現を超える深みを放ちます。
 
西陣の織匠、山口伊太郎氏もまた、その「時を超える美」に挑み続けた一人です。山口伊太郎氏が大きな転機を迎えたのは、七十歳のときでした。西陣の帯作家として円熟の境地に達していた彼が、『源氏物語錦織絵巻』の制作に挑むきっかけとなったのは、当時開催されていたエジプト展との出会いです。展示されていたのは、4500年前の美術品。数千年の時を経てもなお、人々を感動させるその存在に、山口伊太郎氏は深い衝撃を受けます。
「自分にもああいうものが作れるのではないか。平均寿命が80歳として、自分が生きられるのはあと10年。10年あれば、何か意義のある仕事、後世に残るような仕事ができるのではないか。」
そう考えた山口伊太郎氏が出会ったのが、徳川美術館と五島美術館に収蔵される国宝『源氏物語絵巻』でした。王朝貴族が物語を楽しむために描かせたこの絵巻は、高い品格と優美な情感に満ちていましたが、
「傷みが激しく、見る影もない箇所もある。織物で再現すれば、美しいものができるだろう」――
その発想が、山口伊太郎氏の心を捉えました。
「もう金もうけのための商品は作らん。誰にもできなかったことをやる。商売抜きの“織道楽”をやる。」
こうして『源氏物語錦織絵巻』という前例のない挑戦が始まったのです。


絵を「織」で描くという試み

山口伊太郎氏は、原画『源氏物語絵巻』に描かれた人物や風景を、絵筆ではなく糸で描き直すという壮大な構想を立てました。第一巻の制作だけで、使われた紋紙はおよそ100万枚。保存のためだけに空調設備を備えた倉庫を設けるほどの規模でした。金糸・銀糸はもちろん、酸化を避けるためにプラチナ箔を使うなど、あらゆる素材と技術を極限まで高める試行錯誤が続きました。「鈴虫一」では供物を供える侍女の五条袈裟、「鈴虫二」では欄干に掛けられた薄物――その下が透けて見える「薄絹(うすぎぬ)」の表現に三年を費やしました。織物を二重に重ね、下の文様が自然に透けて見えるよう設計し、絵画に描かれた透明感を、実際の織で再現したのです。また、桜が画面中央を占める「竹河二」では、桜の花弁を白糸のみで織り上げながら、光が当たると淡いピンクに見えるよう工夫しました。それは、プラチナと紅色の糸を極細に織り交ぜ、肉眼では判別できないほどの微細な輝きを生む技。「朝日に染まる白桜」を糸の層で表現したものでした。こうした新技法は、すべて山口伊太郎氏自身の発想と、職人たちの試行錯誤から生まれました。
 
三十七年の時を織り込んだ芸術
山口伊太郎氏は、昭和四十五年(1970年)に制作を開始し、三十七年の歳月を経て、平成二十年(2008年)に全四巻を完成させました。百歳を超えてもなお機に向かい続け、百五歳で静かにその生涯を閉じました。『源氏物語錦織絵巻』は、単なる復元ではなく、「織で描くことによって絵画を超える」ことを目指した、日本美術史上かつてない試みでした。その精神は、まさに“時を超える美”。流行に背を向け、時間とともに成熟する美を信じ抜いた人生でした。
 
永遠の美、静けさの中の格
超高級な着物は、派手さや豪奢さによってではなく、静かな格と品によってその存在を主張します。十年後も、百年後も古びることはありません。むしろ時を経るほどに、絹の艶は柔らかく、文様は深みを増します。それは、流行とは正反対の、“永遠の美”。華やかさの奥にある静けさ、控えめな中に息づく誇り――それこそが、真のラグジュアリーです。
 
そして、これらの着物を手がけるのは、人間国宝や文化功労者といった、日本の美を体現する作家たち。彼らの作品は流行を追うのではなく、「変わらない」ことにこそ価値を見出す。十年後も、百年後も、袖を通せば凛とした美しさを放つ。それが、高級着物の世界なのです。
 

3 それはなぜ高価なのか

── 日本の風土と人の叡智が生んだ希少性の美

 
着物が高価である理由は、単に贅を尽くしているからではありません。そこには、日本という国の自然・素材・職人の技術、そして分業の美学という、四つの要素が完璧な調和を保ちながら存在しているのです。一反の布が完成するまでに関わる工程は数十。そのどれもが専門の手によって支えられ、一つとして機械的な大量生産が許される領域はありません。ゆえに、着物は「高い」のではなく、かけがえのないものなのです。
 

自然と素材 ― 日本の風土が生んだ奇跡

絹 ― 日本の気候が生んだ命の糸
高級な着物の基本は絹にあります。日本の蚕は、四季の寒暖差と湿度の変化の中で育ち、世界のどの国にもない光沢と柔らかさをもつ糸を生み出します。この糸を煮て撚り、整え、ようやく一反の白生地となるまでに、数えきれない手が加わります。絹の美しさは、光を反射するのではなく、内部に吸い込み、やわらかく返す性質にあります。それはまるで、光が時間を通過して生まれる“静かな輝き”。この独特の艶こそが、着物が他の布にはない生命感をもつ理由です。
 
糊と水 ― 自然の理を味方につけた染の技
友禅や小紋の染めに使われる防染糊は、もち米と米ぬかを原料としています。この自然由来の糊は、温度と湿度の変化に敏感で、わずかな違いでも模様の輪郭が変わってしまうほど繊細です。
京都・加茂川の清流、金沢の軟水――
それぞれの土地の水質が、染料の発色を決定づけます。つまり、日本の染色文化は「自然と対話する芸術」。絵師の技術だけでなく、水や空気までもが共同制作者なのです。
 
型紙と意匠 ― 人の手が描く、精密の極み
伊勢の白子町で作られる「伊勢型紙」は、和紙に柿渋を塗って強度を増した、薄くて丈夫な型紙です。職人はその一枚に、髪の毛よりも細い線で文様を彫り込みます。花鳥風月、吉祥文様、幾何学模様――そのすべてが手作業です。一枚の型紙を仕上げるのに数週間、それを用いて染めを完成させるまでに数か月。
この精密の美学が、世界のどのテキスタイルにも見られない独自の品格を生み出しています。
 
 

職人の技術 ― 無限の手仕事

友禅や小紋などの染の着物は、下絵、防染糊、彩色、蒸し、水洗いといった二十を超える工程を経て完成します。西陣織や結城紬などの織物は、糸の段階で染めを施し、文様を設計通りに織り上げるまでに数か月を要します。どちらも一点ごとに職人の感覚が宿るため、同じものを二度と作ることはできません。つまり、一反一反が唯一無二の作品なのです。
 

分業の美学 ― 百人の職人が奏でる調和

一枚の着物が完成するまでには、糸を紡ぐ人、織る人、染める人、糊を置く人、箔を押す人、刺繍を施す人――数十から百人もの職人が関わります。それぞれが専門の分野を極め、互いを信頼し、完璧なリズムで連携します。この「分業の美学」は、まるでオーケストラのよう。全員が同じ美を目指し、同じ呼吸で動く。この精密な連携こそが、日本の着物文化を世界に類を見ない存在にしています。
 

着物づくりを支えるのは、日本の自然そのものです。
湿潤な気候が蚕を育て、京都・加茂川の清流が染料を柔らかく仕上げ、伊勢の型紙やもち米の糊が文様を支えます。しかし、こうした環境条件は、今では極めて希少になりつつあります。気候変動により蚕の飼育環境は変化し、天然染料に使う植物は年々採取が難しくなっています。
また、型紙師や糸職人の高齢化により、伝統の技を継ぐ後継者も減少しています。つまり、「本物の着物」を生み出せる環境そのものが、すでに限られた文化資産となっているのです。
 

この極めて希少な分業体系を守る中心に立つのが、人間国宝や文化功労者として知られる作家たちです。たとえば、
芹沢銈介(型絵染)は、日常の中に潜む美を掬い取り、色と形に生命を与えました。
羽田登喜男(友禅)は、京友禅と加賀友禅の両者の魅力を巧みに取り入れ、四季の移ろいを優雅に表現しました。

彼らの作品はすべて、素材・技術・精神の融合点に立っています。そこには、工芸と美術の境界を超えた“生きる美”が息づいています。
 


希少性こそ、永遠の価値

今日、世界中で「一点もの」への価値が見直されています。
大量生産による一様な美ではなく、人の手の揺らぎと時間の重みを感じられるものこそが、真のラグジュアリーとされているのです。
着物はまさにその象徴です。
同じ柄、同じ素材を使っても、職人の手によって微妙に異なる――。
その再現不可能な美が、着物を特別な存在にしています。
それは、「高価」だから尊いのではなく、代わりのないものだから尊いのです。
 
 
 

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